老婆は言った。
「この小屋を出たら、すぐには山を降りずに、空を見上げて大きな月を探しんさい。その月に向かって、『助けて!』と叫ぶんじゃ。そうすれば助けがおりてくる。」
美香はびっくりしてしまい、しばらく返事ができなかった。ここが山の一軒家だったという事実にも驚かされたが、月についての話はより奇妙だった。一体どういう事だろう。“子供のセカイ”とは、一体どのような世界なのか――。
「おばあさん。」
「うん?」
「あなたは誰なの?どういう形で子供に……、その、光の子供に想像されたの?」
振り返った美香に、老婆はにたりと口角を持ち上げて笑った。
「山姥(やまんば)じゃよ。」
その表情にぞっと美香が足をすくませると、老婆はやれやれといった調子で立ち上がった。
「ほれ、そういう反応をしおる。だからワシのような者が作られたんじゃ。」
意味がわからず答えを待っていると、老婆は今度は顔をくしゃくしゃにして、おばあさん特有の優しい笑顔を見せた。
「ワシは良い山姥じゃ。光の子供が本物の山姥を怖がって、ワシのような優しい山姥がいたらいいな、と想像したから、ワシが生まれたんじゃ。」
老婆の言葉に、美香はホッと肩の力を抜いた。なるほど、“子供のセカイ”がどんな所か、少しだけわかった気がした。
「つまり、何もかも光の子供の想像から作られているのね、この世界は。」
「ああ、そうじゃ。いちいち驚いておっては、身がもたんぞ。」
美香はその事実をよく心に留めておいた。舞子を救うには、どんな情報も無下にはできない。
美香は最後に一礼して、ついに小屋のドアを開いた。そこにはうっそうと生い茂る木々――ではなく、枯れ木が不気味に枝を張り巡らせる死んだ森が広がっていた。
ドアを閉じ、美香はつと空を見上げた。
白茶けたわびしい色の空が、どこまでもどこまでも、ただカラン、と空虚に広がっていた。月はそこにはなかった。
美香は一回だけ小屋を振り返り、歩きづらい道なき道を歩き出した。
そこは険しい山だった。足元に広がる尖った枝と枯れ葉の絨毯に足を突っ込むのには抵抗があった。しかし美香は踏み込んだ。靴下はなんの助けにもならず、ちくちくした感覚と共に枝に肌を傷つけられる。あの老婆に助けられた時も、こんな地面に倒れ込んでいたせいで傷だらけだったのかもしれない。