常識と非常識

たきや  2009-05-19投稿
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現在、あらゆる分野や社会で常識という言葉で物事の考え方や他者との関わり方が確立されてますが、それらの常識とは、いつ作られたのでしょうか?歴史をさかのぼれば、現在の常識の中には、時代によっては非常識と捉えられてしまうような事も沢山あると思います。
すなわち、現代の常識とは人間が生きる上で正しい事ではなく、現代を生き延びるために常識というレールが引かれていて、そのレールを間違えないように進むと、現在を安全に進む事が出来るいわば「保険」みたいなものなのでしょうか。
現代を安全に生きていくという意味は、現代の人間の集団に属して生きていく、という意味です。人間は孤立しては生きてはいけませんから。

しかし現代の常識に反しても自分を曲げる事の出来ない信念があるのならば、例え孤立しても、その信念をつき通して生きていきたいですね。もちろんその信念の裏には責任がついてきますが。

かつて、江戸時代を築いた徳川幕府も今では考える事のできない常識は沢山ありましたから。
身分制度など今では想像つきませんよね。
その制度をなくすために、幕末の時代に、フリーやデモクラシーを夢見て奮闘した若者が沢山居た事。
あの時代自由と民主主義が身分差別を受けていた人々からしたらどんなに正しく、幸福をもたらしてくださる制度であろうかと信じたか。

しかし今はどうでしょう?
責任のない自由や、個性を大切にしない、いわば「白か黒か」の二択しか選べない民主主義ばかりが常識になってませんか?

かつての徳川家康は苦悩の人生を生きてきた結果「戦さのない世の中」を夢見て日本中の大名は徳川に属するとして、泰平の世を築いたのだか、いつのまにか身分制度が身分差別になってしまい、身分制度とは名ばかりで、ただ身分が低いものは上の者に虐げられるだけの時代になってしまったのでは。

では話しは戻して、今の時代見詰め直さなければならないのは、自由と民主主義をどういう想いで広めようとしたかを考えていかなければならないでしょうね。



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