気づけば美香は王子に抱きかかえられて空に浮いていた。体の痛みはまるでなく、驚いてあちこち見てみると、傷どころか傷を負った跡さえも消えていた。
「あ、ありがとう……。」
王子のお陰に違いない。美香が呆然としながらもおずおずとお礼を言うと、王子は優しくにっこりと微笑んだ。
「気にしないで。それより、君、とても綺麗な顔をしてるね。僕みたいに。」
「…はぁ……?」
「名前は何て言うの?」
美香は呆気に取られてしばらく返事ができなかった。何だろうこの人は。ナルシストな月の王子様……?一体どんな光の子供が想像したのかしら……。
「今藤美香、です。」
美香が若干引き気味に答えても、王子の顔はニコニコと笑っていた。
「そう、美香ちゃんっていうの。僕は、月王子。」
王子はあくまで屈託がない。悪い人ではないのかもしれない、ただ、そういう性格なだけで。美香は自分を納得させると、月王子に再度お礼を言って地面に下ろしてくれるよう頼んだ。
「いいけど、こんな山の中に下ろして大丈夫?また転ぶんじゃない?」
「……じゃあ、山のふもとまで運んでくれる?“生け贄の祭壇”に行きたいの。」
美香は試しに言ってみた。しかし、まさかそんな骨が折れること、引き受けてくれるわけがない。
「いいよ。」
美香は耳を疑った。王子が側に浮かんだ月に手をかざすと、それは瞬時に運動会の大玉ほどの大きさに膨らみ、美香はその中にぽんっと投げ入れられた。
「きゃっ!」
「すぐ着くから、ちょっと我慢してね。」
月の中は黄色の膜で包まれた空洞にすぎなかった。しかし、どういうわけか、中にいるとは思えないほど、周りの景色がよく見える。美香は試しに手を伸ばしてみた。黄色い壁は、柔らかく手のひらを押し返してきた。
「さぁ、行くよ。」
良く言えば穏やかな、悪く言えば間延びしたような声で王子が呟くと、美香は目の前の景色がぐん、と近づいたのが見えた。
そして唐突に月は飛び始めた。
「わっ!?」
体が前へつんのめった。景色はびゅんびゅんと飛び去り、やがて徐々に降下していき、一気に枯れ木の森が近づいてくる……。
ぶつかる、と思って目をぎゅっとつむったが、恐れていた衝撃は来なかった。