『ミカさん、次のシーンでは相手役の言葉に対して感情をあらわにしながら 悲しさのあまり大泣きをしてしまうという設定を頭に思い描きながら演技をしてみて下さい!』
監督がそう短く指示を出した。 いつものようにカメラの前に立った彼女は演技に入ろうとした。しかしその時 再び脳裏に いつもの思いが浮かんできたのである。それも 確かな形となった思いが…
(悲しみのあまりに大泣きするって?ここの場面設定では少し違うんじゃないかな…本当の悲しみに襲われたとき、人は泣けないものだと思うんだけど…)
しかし 女優としてはまだ駆け出しの彼女のそんな考えもまかり通るわけもなく 何とか監督の指示どおりに演技をこなしていくしか方法がなかったのである。
その日の撮影も無事に終了し 自宅に向かうミカには いつもとは違うハッキリとした思いが 胸に込み上げてきていた。
(やっぱり何かが違うんだ。役者は 嘘の世界で嘘の言葉を言わなければならない。それも台本通りに。それが芝居というものだって事は私にだって分かってる。でも… やっぱり私は、自分自身の考えや生き方に嘘はつきたくない。だからいつも 何となく気持ちが晴れないのかな…)