毎日、僕は暇になると外の雲、もしくは山や風になびく木々を眺めていた。小学生の時、勉強なんて頭になく、風の声に耳を傾け、一日中、外の変化を見つめていた。
僕の住む戸田には工場が少ない。だが、広い土地に目をつけたのが砂利工場だった。その工場のカタン、コトン、カタン、コトンという音。それは小学生の時、耳ざわりで、風を汚し、静かな午後の空をけがすものにすぎなかった。
中学生になり、[時間]を考えるようになった僕は外を見るひまがあるなら違う事をした方がいいと考え、外を眺めなくなった。
そして、今、外を見る。風は澄んで、空はまぶしいほど可憐で、目に入ってくる光景は刺さるようだ。だが、小学生の時のように、あの音は聞こえない。風に乗ってきていた、あの音は途絶えていた。なぜか、僕は悲しくなった。あの美しかった絵は、色をなくしていた。