人間には恋愛が不可欠だ。不可能を可能とするのも恋愛だ。恋愛は力があるしパワーがある。人間の力では到底及ばぬ問題も恋愛なら解決出来る。人間に愛があったか。人間に愛がなければ恋愛に不向きである。
世の中には人間に都合のよい物で溢れ、愛を手玉に取る連中の罠に軽々と嵌ってしまう。それは、人間が馬鹿だからではなく、人間が細やかで繊細であるが故に罠に落ちたのだ。
資本は人間に聞かせるが、人間が罠に嵌るとなると生け捕るしかない。つまり、捕らえて聞いてみるのだ。罠が楽しかったか。罠だから楽しい筈はない。しかし、それでも舌を巻く罠の連想ゲームである。
クヨクヨすることはない。恋愛とは罠に嵌り易い。つまり、恋愛は罠となるもので囮と違うのか。囮は生け贄だ。生け贄は餌だが犠牲ともいう。犠牲、つまり人間は餌にはなれない。何が言いたいかだが、人間が餌だと主義に反する。犠牲に甘んじることは人間を見くびるのだ。
ここで恋愛の条件とは、人間に資質が必要であり、また人間の素養に習字などを当てはめた。他に人間の条件ともいえる年収と、奴隷ではない人間の哀愁もある。人間の奴隷、つまり性欲では物事は解決しない。知性が必要だし、人間の知性に磨きをかける物もいる。
それら一般を差し置いても恋愛は高値の花だ。その花を手に入れるには素養となる愛の手管だ。白手袋でも嵌めてラブレターでも書いたら人間の邪にはなれる。しかし、愛となると人間だ。人間が愛そのものだ。つまり、愛の奴隷はない。知性と年収があるだけだ。年収がなければいけない。