貧乏は商売の基本である。日本経済は高度化し、やおもすると危険だ。複雑な心境が貧乏にも必要である。貧しいのは恥ではない。知らないのが恥ずかしいのだ。商売の基本を忘れて、殿様商売をしてたのでは忘れているのと変わらない。何を忘れたかだが商売の基本だ。そのことは正義に反する。愛のない正義に庶民は味方しない。
GDPは膨らみ、日本経済は活気を取り戻した。それは貧困から学んだ便宜だが、机上の空論で質を正すのは如何なものか。空論ばかりが目に付き足下がおぼつかない。空論あるとき、決まって運輸など陸送関係に問題がある。人間は陸亀だ。襲って来たとき、どうするのだ。対処の仕方も解らず、人間の処方箋を漁るだけなら兎も角、陸亀の優劣に狂いはない。
日本経済は活気を取り戻した。そのことは多分、人間が経済に向いていたのだろう。人間が経済に向くとは信用が要ることだ。信用取引の現状で犯罪は人間を眩ます。つまり、人間の駆け引きに富を利用したのだ。富とは貧困で、貧しく、美しくもあり、醜くもある。それらひっくるめて富の現状だ。日本は貧乏に負けたのか。
正義も知らないで、戦う意義に乏しく、経済の循環は富に集約する。富とは貧しく、貧困で、醜くもある。それらひっくるめて経済の循環に押し鎮める。産業が発達し、機械化が進み、人間の手足となり、人間の見くびりに使われたロボットである。産業を支える物は多い。産業化の中で商業は如何にあるべきか。
まず、馬鹿にしないという態度、つまり商業の基本は貧困だ。次に争わないゆとり、次に正義に裏打ちされた判断が求められる。正義の判断だから、愛と互角に渡り合えたのだ。正義は、いつ登場するのか。それは愛と互角に戦った証である。やはり決戦は控えており、戦う順番が来るまで待機している。その待機する期間が長ければ、長いほど大物だという。大物来たりて待ち人を知りたる現状ではある。その現状を打開するには、更に大物の狙うしかない。