核の脅威に曝された。原子核の脅威は破壊である。すべてを焼き尽くせる。北朝鮮は核の脅威により優位に立とうとしている。国の優位性の問題である。常任理事国各国は核の均等化を勧め、下手な国に核を持たせないようにした。
日本は非核三原則を固持し、頑ななまでに核に反対している。日本の立場は、列強の中で唯一、核不存在の立場だ。被爆国としての唯一の選択である。無二の念を捨て、不信に危ぶまれた核である。
そんな核を相手に列強に挑む北朝鮮の立場は、核の優位性だけを捉えて、立場を交換しようとするやり方である。領海、領空を侵犯してまで脅す必要があるのだろうか。存在を否定し得ない核だけに、新たな危機として新聞は取り上げる。
北朝鮮の敵視政策はアメリカまで拡張解釈され、核の脅威を盾にし、日本の曖昧な態度を批判する。闇雲な世論に任せたのでは流されると判断したのだろう。核の脅威に曝された日本はもとより、外国にも押し寄せ、国としての成り立ちを成立させんとする現れだ。
敵視政策の根本的過ちは、人間を非人道上の上に置き、人間を酷使する点にある。根本原因も正さず、核に溺れるのは如何なものか。人間の過ちを認め、反省の色を濃くし、人間の存在こそ正義と改めるべきだ。なおざりな技術では核は危険と判断した。
そこで列強は、核の脅威だけでなく、死刑制度廃止や人権尊重路線に改まった訳だ。核の削減と相俟って、人間の尊厳の回復に力を濯いだのである。人間の尊厳とは、生きて行く過程で生まれ、育った環境に支配される。
尊厳を認めよう。新たな危機の回避に役立つ。人間は一人では生きて行けない。家族や両親がいる。親や親戚がいる。人間の過程で育った環境で育まれた愛情は責任を感じている。何事も愛情がなければ強くなれない。