知性と思われるものは何処から来るのか。人間だけに野暮は禁物だ。御禁制の品々は小判と成り得ても品々から黄金色の光る。知性とは磨きを賭け、競馬やギャンブルに溺れ、溺愛した精神から小判が覗く。知性とは野暮でない。そのことは人間が初めて世間に登場したようだ。
世間体の多くは野望を持ち出した。徳川の埋蔵金である。そのことに気付いたとき、初めて人間の愚かさを知る。それも知性と置き換えればだ。愚を知り、富を嘲り、人間を小馬鹿にし、それでも黄金色である。人間の愚足らしめた小判から知性がにじみ出ている。
人間は黄金色で在らねば成るまい。嘘つきも何時かは大人となり、黄金虫のしっかりした日焼けだ。嘘から誠が聴ける日が来るのか。小判は押し黙ったままだ。人間などは嘘つきだから信じる方が悪いのだ。嘘を生業と仕掛け、人間の本能に曇りは要らない。
さて、その埋蔵金だが人間が築いてきた最小の小判、即ち城は徳川の小判だった。日本には埋蔵金が幾つもあり富を城に見立てる。富があれば栄え、人間の城下町だ。このように幾多の困難を乗り越えてきた城は黄金虫に変わった。
虫けら同然に生き、春になると草花の新緑を思わせる。草花だって芽立ちがあり、草木にしたって緑が必要だ。人間の木立となり、日に陰る人間の太陽だ。それが自然だとすれば人間は何と愚かな生き物だ。微生物となり、岡目となり、岡っ引きとなる。
そこで野望だが、微生物は要らない。自然も聞き飽きた。人間の政治が見たい。つまり魂胆はあるのだ。いずれポリスとなり、連行されないまでも魂胆はひしめき合っている。女は味噌だな。八丁堀だ。そこで魂胆を明かした八丁堀は淀みへと流れて行く。人間の屑が多く集まる人間の屍だ。そこでトグロを巻き渦に呑まれるのだ。ネオンへと消える人間の浅ましさが見える。