人間の条件

古代魚  2009-06-24投稿
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人間とは如何なる動物か。野生が味方し、人間のわだつみも縁である。新緑の季節に咲き花は憩いの季節となる。安らぎを草花は与え、人間の戒名に狂いはない。人間は造作もない生き物だ。何でも出来る。未知なる道連れから推量する人間の期待は膨らんだ。人間の期待だけに野望を持ちこたえている。野望とは何か。何か具体的なもので人間を争うつもりだろう。


人間の期待は膨らんだ。人間の期待だから条件がいる。人間の条件に希望を持ち出した。それは人間だけにしかない希望である。人間の希望だから条件がいる。条件に見合うものは在るのか。条件に見合わなければ犯罪に返し、条件に見合った行いだけを取り上げる。取り上げられた条件は人間の期待だ。その期待にしたって人間は生きている。


枯渇した精神の温もりはかいくぐる事は出来る。しかし、温もりと差し違えても人間には明日がある。希望を条件とし、野望を衰退とした。つまり、野望は無駄なものだ。野心にしたって程遠い。人間の枯渇した精神だ。秋に枯れ、落ち葉となりし野望は、ついに人間に押し寄せた。希望は差すのか。野望にではない。野望は、希望は要らない筈だ。つまり、野心に見え隠れする人間の期待ではない。その期待にしたって野心はある。廃墟に佇む幽霊のように。



ついに、人間に押し寄せた期待で膨らんだ胸は、草木とはかけ離れている。木立の息吹とも違う。人間の呼吸で新緑を物にするのだ。物議を醸した人間の憩いは蜻蛉となりえた。人間の鈴虫のようにチンチラ、チンチラ音を鳴らす。チンチラ、チンチラ鳴き止むと人間だ。人間の憩いだけが希望だった。このように人間の期待した希望も憩いとなり、連行されないまでもくつろいでいる。



憩いまで取り上げるとは人間のする事ではない。期待は膨らんで人間の寄りを戻すのだ。何に期待したかだが、結果ではない筈だ。結果は出発にしかならない。期待したものとは憩いの中の希望にである。憩いの中に希望はあるのか。人間の存在を認めて良いのか。希望が無ければ人間とは認められず、結果にしがみつき、引きずった過去を弄ぶしかない。それを生きているとは言い難い。野心に根付いた犯行だ。野望に見え隠れするのみだ。



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