この拳銃関西弁変人女の名前は聞き出せなかった。
どうやら自分の名前すら覚えてないらしい。
覚えているのは魔女のりんごとやらを頬張るところまでだとか。
バカを通り越してかわいそうに思えてきた。
するとバカ女は、
「そんな捨て犬見るような目で見んといてよ!あんたの名前は?どっから来たん?」
とあからさまに少し怒ったように、大きな声で質問を投げ付けてきた。
座席越しの周りの視線が気になる。
何も頭の中が整理のついてない俺はこんな奴に構う余裕などなかった。
しかし、名前ぐらいは教えておいてやろうと、口を開いた瞬間、言葉に詰まった。
「…………。」
「なんで黙るんよ〜?名前ぐらい教えて〜よ。」
「…………。」
自分の名前が出てこない。
俺はこの女と同様に、名前を覚えていないのだ。
それどころか剣道大会前後の記憶も、うっすらとしていて定かではなかった。
汚いダンボールに捨てられた哀れなメス犬の横に、更に哀れなオス犬が追加されたのである。
冷や汗が流れる。
バカ女をバカ呼ばわりした上に、自分も同じ症状であったと知っては、この女の俺を見るさげすんだ目が目に浮かぶ。
「トシ。みんなにはトシって呼ばれてた。」
とっさに嘘をついたその時だった。
ドタドタドタッ。
車内の後ろから猛スピードで何かが来る音がする。
バスに乗る若者のうち数名が俺とバカ女の席まで駆け寄ってきたのだ。
あれよあれよという間に、俺たちは小さく囲まれた。
小学生に囲まれ、これからイタズラをされる捨て犬のような心境だった。
「名前覚えてるんか!?」
「なんで!?なんでなん?」
「うらやましい〜!ええなぁ。」
「………。」
4人のうち3人は完全に関西弁。
もう一人は、無理矢理引っ張ってこられたのか、何も口にはしなかった。
どんより雲の外の景色はさっきより気持ち明るくなった気がした。