大人の責任

古代魚  2009-06-28投稿
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近頃、無責任な事件が多くなった。それは人間が社会で躓いたからだ。社会の構成要素である人間の爪弾きにあったからだ。人間は大事にされて当然である。人間の考えでは及ばない世間というものへの関心は年を取ると忘れてしまうらしい。


関心が少ない無責任な大人に混じっては人間は詰め込み電車だ。関心があると見せかけて、実は脅すのが目的だ。恐怖に苛まれた詰め込みは、揺られ、どこで下ろされるか不安でならない。そんな風紀を改善しようともしないでは人間は無駄だろう。


責任を果たすとは難しい。難題でもある。しかし、詰め込みくらいで立ち往生するのは難題の電車に甘えている。電車は空席が目立つ方が良いのだ。リラックスできる。人間はとこしなえに変わる。電車を例に取ると朝の混雑は激しい。ラッシュである。


電車だけでなく、車が渋滞するとなると手放したい気持ちも分かる。それには和を掛け、足し算から学ばねばなるまい。人間は足し算だ。掛け算ではない。和を引くと溜め息が出る始末は富が人間を狂わすからだ。富の現状は醜く、容易ではない。人間に堅く、律儀である。それらを纏めて懺悔した。罪滅ぼしである。

責任の罪を滅ぼすのだから懺悔がいる。酷い仕打ちも必要だろう。それら責任は身代わりとなり、無責任に取って代わるべきだ。責任の身代わりこそ望まれて然るべきだ。つまり、死刑は望まれているのであり、人間の責任に於いて果たされているのだ。

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