はじめに、これから筆談致します内容に関係のある皆々様方々の非難中傷をした内容ではありませんので、くれぐれもお間違え御ざいませんよう宜しくお願い致します。
今国会では脳死について討論してるが、国会が出したA案というのは、脳死を人の死と決定するが、臓器移植するのは決定権は確保されている等言われてまして個人の権利を尊重していると、いってます。
しかしもう少しA案について話し合うべきでは?と思います。
なぜかと言うとあなたは脳死になった事はありますか?
家族は良いと言っても本人はどう思っているかわからないじゃないですか?
何でも家族だの代理人だの名前は挙がりますが、本人の気持ちは本人にしかわからない。もちろん臓器提供を待っている方々は沢山おられます。
私にも障害を持った息子が一人います。
家族としては医療が発達した現在であれば勿論治して頂きたい気持ちはあります。
しかしそれらはあくまで医療が発達したから出来る事ではありませんか?
臓器提供といえば輸血も見方をかえれば臓器提供かもしれません。しかし血液というものは作られれば元に戻りますが、いわゆる臓器(内蔵)は人間の力で作る事はできません。
それだけ臓器は大切な物でしょう。
ちなみにもっと医療が発達して「脳移植」など出来るようになったらどうでしょうか?
医療の発達は悪い事ではありませんが、発達し過ぎると本来の幸せという物から少しぶれる恐れを最近感じます。
臓器提供で恐れている事の一つのいわゆる「臓器密売」があげれますが、元を正せば貧困社会が密売、人身売買に繋がってる訳ではないですか?
じゃあそこはあくまで貧困が原因であり臓器密売が原因ではない。
貧困社会をなくす為に何をしなければならないか?
を考えるべきではないでしょうか?
いくら物資援助しても駄目じゃありませんか?
草が生えない土地、水がない土地で生き抜く事は難しいですよ。