淘汰

古代魚  2009-06-30投稿
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淘汰を自然に任せて良いのか。自然に任せては手落ちだろう。強い絆が人間にいる。友人の少ない人間は、それで淘汰されているのだ。友人を多く持つことは恵まれている。人間は自然の環境で物を考える。人間の考えで価値が決まるのであれば映画など未熟だ。未成熟映画が成人映画だ。


成熟期を迎え、取るもの聞くもの大人気ない。それは文明が進化したからであり、人間が退化した訳ではない。人間が退化したのなら、それなりの役目を果たそう。しかし、人間は仮初めにも初顔合わせだ。人間の政治による、人間の勾配は思春期を迎えた。


春に咲き、夏になると淘汰され、冬に枯れる人間だ。日差しの下で人間は淘汰される。それを黙って見てられるのは何もしてない。人間の黙阿弥に混じり、するべき時を失い、夏に枯れたのでは人間が出来損ないだ。


人間の政治だから淘汰は必然としても、夏に鳴く鴬のように喉を潤す。夏にホー・ホケキョだ。真夏にホー・ホケキョである。夜になると鳴き止まず、ケキョ・ケキョ・ケキョと忙しい。淘汰の世界である。人間は何処にもいない。


仮初めに生まれた者は仮初めでしかない。老人に生まれたければ長生きする事だ。人間は本懐を遂げなければならない。それが人間が自然にした約束なら人間から襟を正そう。悪人は何処にもいない。甘えているだけだ。善汁に詫び茶を呑んで誇らしげだ。人間の欲望と程遠い。


このような人間の後始末は誰がするのだ。自然がする訳ない。人間に甘え、成り行きに任せて、自然を畏れてさえいれば、いずれ蟻が集り、ウジがわき、汚い政治に群がるハイエナのように、人間を懲らしめの道具にするのだろう。そんな事は誰も聞いてない。



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