偽善の仮面

古代魚  2009-07-02投稿
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偽善者とは何か。自己を裏切り、善良に澄ます輩だろうか。それなら誰でも偽善者だ。人間の面ではない。顔は大人になってからだが、童顔に期待するものなど何もない。童顔が悪いのであって、期待を裏切ったところで何食わぬ顔だ。


それら童顔は社会の偽善者だが、偽りの精神があるだけだ。人間に成り切れない何かの原因とか。未熟とかは差し置いて、童顔はいけないと判断した。叱って欲しいときに叱れないと子供は不平をいう。子供の顔は、まさに偽善者でもあり、社会に何も役立たない。



こうゆうと叱られそうだが、子供に甘える大人に混じっては技術は育たない。子供は悪く、狡くて賢いものだから偽善者だろう。そのような偽善者を相手としたのでは、遊園地か、ひょっとすると公園で遊んでいる。大人は判断し、叱るべきときを伺っている。一緒に遊んでいるのではない。


もし、大人が子供に混じり、一緒に遊んでいたとしたらお笑いだ。芸の身の丈に収まったのだ。それはそれとして人間は明日だ。明日は希望が湧く。明日に期待を持たせ、今日を精一杯生きれば、何を恥ずかしいことがあろう。太陽は照っている。人間の疎外など後回しだ。


今日に期待し、何も出来ない生活、つまり偽善者は子供の頭で叱られるのを待っている。希望は明日だ。人間の偽善者による子供騙しも聴こえは良いが、嘘だとバレると大人げない。子供の頭で何が出来るかだ。何も出来はしない。嘘を付かなくなったとき、偽善の仮面はスルリと落ち、大人へと成長するのだろう。




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