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コウが退院する前日。
日勤だった私は、夕方までの勤務が終わると、急いでアパートに戻った。
腕によりをかけたお弁当を作るのだ。
途中でスーパーに寄って材料を仕入れて帰り、この十年間、ほとんど使われたことのないキッチンに立った。
今までは、看護師という立場上、コウにだけ特別待遇することは出来なかった。
だけど、どうしても今夜だけは、お母さんのいないコウに私の手料理を食べさせてあげたい。明日の夜からは、もうコウは病院にいないのだ。
今夜を逃したら、二度と機会はないかもしれない。
お弁当のメニューは、玉子焼き、ハンバーグ、唐揚げ…。そして、おむすび。
キッチンに材料を並べながら、私は苦笑する。
さりげなくコウから聞き出した好物ばかりだけど、まるで子供のお弁当だ。
そう、コウはまだ高校二年生。子供なんだ…。
お弁当を開いた時のコウの喜ぶ顔を想像しながら、玉子を焼き、挽き肉を捏る。知らぬ間に、笑みが零れてくる。
お弁当の会心の出来栄えに満足した私は、『一晩中踊れたら(I COULD HAVE DANCED ALL NIGHT)』を口ずさみながら、お風呂に入る。
これまで、演歌ぐらいしか知らなかった私が、コウに奨められて初めて見たミュージカル映画『マイ・フェア・レディー』。その中で、オードリー・ヘップバーンが歌うこの曲は、私の今の心境にはピッタリだ。
何度も同じメロディーを繰り返しながら、ゆっくりと湯舟に浸かる。いつも以上に時間をかけて、全身を念入りに洗う。
コウの唇を思い出しながら、左胸の傷痕に指を這わせて見るが、くすぐったいだけで、何も感じない。
「馬鹿みたい…」
私は呟いて、お風呂から出た。
髪を乾かし、新しい下着を着ける。ダミーの乳房は今日は必要ない。
鏡に自分の姿を写しながら、まるで初めてのデートに出かける少女みたいだと、ひとりで頬を朱くした。
お弁当を届けに行くだけなのに…。
以前、夏川涼子から、十歳は若く見えると褒めて貰ったライトグリーンのワンピースを身につけ、病院の消灯時間に合わせてアパートを出た。