コウが頷いた。
頭の良い彼の事だから、私の小さな嘘はお見通しだろうけど。
「わかったよ。ごめんね、さゆりさん。僕、一生懸命に頑張って進学して、早くさゆりさんに追いつけるようにするから。だから、卒業して、きちんと社会人になったら…、プロポーズしてもいいですか?」
私は微笑みを浮かべて、それに答えた。
「もちろんよ。コウがそうなった時、まだ、私の事を愛していてくれたら、プロポーズして。必ず、『はい』って答えるから。私はずっと、その日を待ってるから」
非現実的な夢…。
コウが大学を卒業するのは、早くても五年も先の事。
それまでには、きっと現実に目が向くようになるだろう。
22歳のコウが、50歳の私との結婚を望むはずがない。今、こうしていられる事ですら、奇跡みたいなことなのに…。
でも、私はそれでも構わない。
コウは私に、生きる喜びを取り戻させてくれた。
自分の命を永らえるために、授かった命を抹殺し、女のしるしの乳房まで失った。唯一のよりどころであった夫にも去られ、十年もの間、抜け殻のように生きてきた私。
コウはそんな私に、もう一度、人を愛する気持ちを思い出させてくれた。
これ以上、何を望む必要があるだろう。
コウを愛する気持ちだけで、私はこの先の人生を、笑顔で生きて行ける。
約束の時間より10分ほど遅れて、学生服姿のコウが、息を切らしながらやってきた。
私の席の横に直立不動の姿勢で立ち、素直に頭を下げる。
「ごめんなさい。タッチの差で、電車一本乗り遅れちゃいました。電車の中でも走ったんだけど…」
私は思わず噴き出した。
高校生の男の子が、そんなオヤジギャグを言うなんて…。
でも、コウなら本当に電車の中を走っていたかも知れない。目の裏に、情景が浮かんでくる。
コウは私が笑い出しだ事で安心し、隣に座ってトレーの上のアイスコーヒーを、一気に飲み干した。
そんな仕草さえ、私にはたまらなく愛しい。