富とは何か。人間でいう富の現状は極めて危険だ。不遇窮まる。それに厄介だ。人間だけの富なら兎も角、動物も混じり、人間の面目は躍進と行くか。人間のメンツに働きかけてみる。人間のメンツなら顔が効く。他に人間の良心に働きかけて行いをみる。人間の良心だから間違いはない。間違いは訂正される。訂正もしないで、間違いの咎ばかり責めるなら責任だ。何で責任を取らすのか。
富には責任がついて回る。人間の欲望も責任があってのことだ。欲望と責任の両立を果たすに賭けて、人間の欲望では野望が多い。野望に責任をふっかけ人間の動物をみる。責任問題だから重要だ。野望が小さければ、果たす責任も小さい。野心が小さければ行いも小さい。人間の責任では野望は果たせないのだ。無責任な野望に望みはない。
富とは現状であり、満足する富もある。責任も大きく、野心もある。今日が日付なら兎も角、責任を果たそう。動物では心許ない。人間が動物に彷徨えるのは、動物が人間に微塵も愛を感じないからだ。人間にしたって愛情を注いでいる。動物への愛は取り止め、人間への限り無い政治に期待したい。限りが無いとは動物だ。騙されたつもりである。
誰も救われた人間などいない。信用から富の藪蛇へと追いやられ、人間が築いてきた繁栄について異論を唱えるだけだ。黙阿弥に済まし、水澄ましのように海面を泳いで渡る。出来の悪い水澄ましだな。良くて人間の政治だ。人間には好悪があり、功罪が控えている。功罪だけなら兎も角、人間の善し悪しとなると、波風では歯が立たない。もっと鋭い切っ先がいる。その切っ先に剣を注いだ。