夏休みとは、歩くカフェインである。解散総選挙を控えたトランプ達が百人一首に興じている光景が、自信を確信に変えてくれる。或いはプール開きを間近にして追い出された亀が、懲役一万年の刑から解放された事実からして、間違いは無い。
時として人間は、夏休みと言う無限の愛を語る場合に於いてドジョウすくいを参考にしたがるが、それは紛れも無くルール違反であり、スタンドプレーだ。
ヘアスプレーは夏休みの課題として重宝されがちだが、接吻の足しにはならない。それどころか梅雨前線が漁獲高を競い合ってる間に梅の土用干しは千秋楽を迎え、朝青龍がインタビューで笑って答える始末である。
それでもカフェインは減らない。ウコンには悪いが、カレーはイチローの好物だ。他人の空似とは良く言ったもので、シュウマイが餃子に驚く事もしばしばだ。
しかし人間はハッスルを止めず、ハンストをプールの監視員に強制したがる。だから現代の子供達はポケベルを信仰の対象として、携帯電話で仲間に伝え合うこと請け合いだ。
ましてやドンファンは不覚にもメールの打ち方を知らず、ダーウィンにも見放されたことに気付かない。まことに悲しい夏休みである。