「久しぶりに旅に出てみたいなぁ」
私の呟きを聞いて、台所で洗い物をしていた妻が手を止めた。
「あら、夏休みにディズニーランドに行って来たじゃない。それに、去年のお正月には、積年の夢だった、ハワイにだって行ったし」
「あれはね、旅行って言うんだ。旅とは違う」
「…………?」
「あのなぁ、あんなふうに決められたコースを、家族で賑やかに回るのは旅とは言わないんだ」
「でも、パンフレットには『ハワイ四日間・魅惑の旅』って書いてあったわよ」
「……。それは…、旅行会社が間違ってるんだよ。最近、日本語が乱れてるからなぁ。第一、旅って、質素なイメージだろ?」
「充分、質素だったと思うけど…。フリータイムの食事、全部マックだったし。あなたは、本場のマックは一味違うって…」
「まあ、な。しかし、飛行機は邪道だ。やっぱり、地面を踏み締めて進む鉄道が、旅の基本だな。まあ、車もギリギリ許しておくが。
とにかく、通過して行く土地の匂いを感じながら行くのが、ホントの旅なんだ」
「パパ…。飛行機、怖いんでしょ?」
「そっ、それはまた別の次元の問題だ。
考えてごらん。ひとり旅とは言うが、二人旅なんて言わないだろう?家族旅行とは言うが、家族旅とは言わないだろう?
」
「家族が一緒じゃ、嫌なの?」
「ちーがーう!家族が一緒だと楽しい。幸せだ。だけど男は、幸せとは別に、孤独なロマンを求める生き物なんだ」
「ふうん…。それなら私にもわかる。一人で見知らぬ土地を旅して、新しい感動に出会うんだね」
「その通り!なんだ、よくわかってるじゃないか」
「うん。今、わかったの。でも、そんな旅なら、この春にも行って来たじゃない?東京本社に出張…、のはずが、修善寺温泉でしたっけ?」
「えっ?」
「ロマンは知らないけど、ロマンスには出会えたみたいだしね」
そう言うと、妻はエプロンのポケットから、角の丸いパステルカラーの名刺を取り出した…。