美香は首を圧迫され、弱々しいあえぎ声を上げた。
「な、にを…っ。」
地面から足が三十センチくらい浮いている。美香は女の腕を引っ掻いたり足で蹴りつけたりして暴れたが、女はびくともしなかった。
女の顔がゆっくりと近づいてきて、美香はその目の色に気づいてゾッとした。人を睨み殺せそうな激しい目付きだった。
女は凄みのある低い声で囁いた。
「……王子、とそう言ったのか?」
「…っ。」
「お前たちは先程の歌を知らないと言ったな?ということは東国サハールの住人ではないという事。つまり……味方という事だ。」
訳がわからない。美香は襟首をつかんでいる女の腕に必死にしがみつきながら、訝かしく思い顔を歪めた。
「味方なら、何でこんな事、」
「あの人の子か?」
美香は、いつの間にか女の大きな瞳に、大粒の涙が浮かんでいるのに気づいてぎょっとした。
女は恥ずかしげもなくポロポロと涙をこぼした。
「サハール以外にこの辺りに王国はない。王子がいるとすれば、私の故郷、西国ミルトをおいて他にありえない。」
女は半ば自分に言い聞かせるように呟いていた。その顔がますます暗く、つらそうな表情になっていくのにつられて、美香も悲しい顔になった。しかし、何かがおかしい。王子は王子に違いないが、この領域ではない別の場所の王子だ。この人は誰かと勘違いしている――?
「あそこにいるのは、我が王アバンドの息子なのか?王はついにあの魔性の女に心を委ねてしまわれたのか?」
「違うわ。」
あの、その、などと、どもらないように注意して、美香はキッパリと言い放った。疑いを晴らすなら嫌疑をかけられた方は堂々としていなければならない。曖昧な態度は誤解を招く。しかし美香は、女に早く地面に下ろしてほしいがためにそう言ったのではなく、おもしろいように後から後から流れる女の涙をなんとか止めたくてそう言った自分に気づき、驚いた。ずいぶんな乱暴者だが、どうやら自分はこの女性を気に入ってしまったらしい。
(変なの……。)美香は頭の中で首をかしげながらも、ゆっくりと、一言一言区切るように言った。
「その人は、別の領域から来た王子よ。アバ……なんとかって言う人の、息子じゃない。」
女の腕から急に力が抜けて、「わっ!」と声を上げて美香は地面に尻から落ちた。砂なので衝撃は少ないが、少しだけ痛かった。