家までは20分で着く筈だったが雪の所為か意外に時間がかかってしまった。
玄関に入るとこの家特有の温かさを肌に感じた、寄り道なのだけれど、ああ帰って来たんだなと思わせる。
外泊していたわけだし少しは顔を見せなきゃいけないなぁ。
「…………ただいま」
「はい、お帰りなさい」
今更ながら驚いてしまう、こんなオレを普通に迎えてくれるんだから。
「朝はもう食べたの? もし食べてないなら一緒に食べる?」
「うん、今顔洗ってくる」
元々無口なオレにはこんな会話でも面倒臭い。
これはオレの勝手な考えだが、話す事に意味は無いんだ。
感情を伝える事が「話す」という出力信号なら、紙に文字や絵を書いても同じ筈だ。
もしくはサインでもいいな、右手を挙げたら「おはよう」、左手を挙げたら「おやすみ」とか。
世の中には声量や音程で他人の心が分かるという人がいるが、それは嘘では無い、しかし100%でもない。
文字や絵には視覚という出力信号しかないが、会話には聴力も追加されるので、伝わりやすいのだ。
だがデメリットもある。
伝わりやすいということは、真偽の判定が困難だということだ。
そして責任が伴い、一度した発言を消すことも出来ない。
故に強い力を持つ。
だから、オレは言葉が嫌いだ。
意味を理解しないで使用をする事が怖い、無責任な発言で相手わ傷付けるのが恐ろしい。
冷たい水道水で顔も考えも流してリビングへと向かった。