3-9 香
†
抄司郎は毎日町へ出る。
武部の手下達の足取りを掴む為である。
それらしい人物は幾度か見かけたが,
幸い,椿の居る長屋の在処は知られていないらしい。手下は抄司郎に斬りかかって来ると言う訳でもなく,意外と平穏な日々を過ごしていた。
抄司郎はふと,出店の前で足を止めた。
そこには幾つもの,流行りものの髪飾りが売られている。その中の一つを手に取った。
― 椿色。
その鮮やかな色は他の物よりも美しさで秀でていた。
椿は長い髪を斜めに結っている。
それは自然と波のように靡き,更に椿の魅力に磨きをかけていた。
抄司郎はこの髪飾りを付けた椿を,無意識に想像していた。
美しい。
時々,椿のその姿を想像するだけで胸が苦しくなる。
『それを手に取るとは珍しい人だなァ。』
店主が,店の前でぼぉっと立っている抄司郎に言った。
抄司郎は,はっと我に返って尋ねた。
『なにがです?』
『この店を出して長い年月が経つが,未だこれを買った者は誰1人としていねェ。』
抄司郎は手元の髪飾りに目を落とした。
『決して悪い品物じゃないが‥。椿色。こいつは誰もが似合う色じゃねぇんだ。椿色が,自分を身に付ける主を選ぶとでも言おうか。』
『選ぶ‥?』
店主は抄司郎の顔を覗き込んだ。
『旦那,その様子じゃあ,こいつに相応しい女を知っているな?』
『‥。』
確かに椿の名の通り,この髪飾りが似合うのは椿以外考えられない。
店主の話を聞いて,尚かつそう思った。
『これァ相当な別嬪と見た。恥ずかしがる事ァねぇよ。金はいらねェ。哀れなこいつを,その人に差し上げてくれねぇか。こいつもやっと,自分の主を見つけたんだ。』
と,店主は抄司郎の手に髪飾りを無理やり握らせ,妙な微笑みまで見せた。
店主は,抄司郎の心の内を知っている。
― 惚れていやがる。
椿色の髪飾りを強引に押し付けたのも,
そんな抄司郎をからかったのだ。
『おや旦那,お顔が真っ赤だぜ?』
抄司郎は照れたように目を伏せた。
≠≠続く≠≠