3-12 香
『もう遅い。わしは次期に死ぬ‥。だがあの子を,恨むのではないぞ‥。』
ボロボロに斬り刻まれた体で,師匠ははっきりと言った。
『お前が,必死に守ろうとしている人が斬られるのを,わしは,黙って見ておれなかったのだよ。』
と,力無く微笑し,
抄司郎の背後で泣きながらそのいきさつを見ている椿に目を移した。
『あの子は,お前にとって,特別な子なのだろう?』
『‥はい。』
椿は抄司郎にとって,初めて心の底から守ろうと誓った,たった1人の人である。
『やはりな。だからそうたやすく,お前からあの子を奪えさせはせんと,剣を抜いたのじゃ。』
『すみません,私が,力無いばっかりに‥。』
『謝る事などない。むしろ,わしは感謝している。』
師匠は目の前に広がる空を見た。
『青空の元で,しかもこうしてお前に看取って貰えるなんて,夢にも思わなかった。』
『何を言っているんですか,師匠は,これからもずっと,私に剣を伝授して‥』
『何を言う,お前に教える事など,既にない。』
抄司郎の言葉を遮る様に師匠は言った。
『抄司郎‥お前は‥,』
『‥はい,』
『心のままに,あの子を守れ‥,』
師匠が死ぬ前にどうしても伝えたかったのはこの言葉だ。
抄司郎の目が次第に潤んだ。
師匠の命の灯火が今,消えようとしている。
『よいな‥』
小さくかすれた声だが,聞き落としはせぬと,しっかりと耳を傾けていた。
『抄司郎,お前はわしの‥』
抄司郎の目から遂に大粒の涙が落ちた。
『一番弟子なのだから‥』
『‥師匠!!』
その言葉を最後に師匠は息を引き取った。
未だに生きているかのような,穏やかな微笑みを見せていた。
抄司郎は空を見上げた。
― 心のままに,あの子を守れ‥。
抄司郎は拳を握った。
命をかけて伝えた師匠のこの言葉は,
抄司郎の人生に深く根付く事となる。
≠≠続く≠≠