「声に出てましたか?」
予言者は笑顔のまま、
軽く頭を振った。
ストレートの長い黒髪。
ライトグレーのジャケットに
黒いインナーとパンツ。
細い身体のラインも
そのままだ。
夕方、街灯のまばらな
住宅街で見たときと
格好は少しも変わらない。
ただ、
薄暗がりの中では
よく見えなかった顔は、
蛍光灯の白い光の下で見ると
美しかった。
透き通るように白い肌が
ぐっと迫って来た。
すっと通る鼻筋。
なめらかで引き締まった顎の輪郭。
高い頬骨。
切れ長で大きな眼が、
明広のすぐ目の前で
楽しそうに輝いている。
「もう帰っていいんでしょ?」
薄紅色の唇がささやく。
艶やかな黒い髪が
さらさらと
缶をもつ左手に
触れる。
明広は
声もなく
うなずいた。
「よかった。
一杯やるから付き合ってよ。」
女は先に立って
スタスタと歩き始めた。
俺、行くって言ってないよな?
女のウキウキした声につられて
つい立ち上がりそうに
なったところを、
もう一度座り直す。
座って
夜景を眺めている分には
よかったが、
身体を動かすと
自由にならない腕と
縫ったばかりの唇が重かった。
今日はもう疲れてるんだ。
行くなら独りで行ってくれ。
何処に居るとも分からぬ
花鼓のことを思えば
気もそぞろ。
陽気に酒など
飲んでる場合ではない。
一時の高揚感に
つられかけた自分が
恥ずかしい。
女は、
休憩室の出入口で
振り返った。
白い顔から笑顔が消えた。
「彼女の居場所、
知りたいんでしょ?」
なんて奴だ。
明広は、立ち上がった。
駆け寄ると
女は素早い身のこなしで
明広と距離を置いた。
「いいお店、見つけたの。」
女の顔に笑みが戻る。
明広は、
今にも歌い出しそうな調子の
不審人物を睨みつける。
澄んだ笑顔の中、
黒髪の下からのぞく女の目は
濁った強い光を放っていた。
不安と希望、
疲労と安息が
立ち込める夜の病院で
騒ぐべきではない。
辛うじて良識が働き、
明広は
開きかけた口を閉じた。
背の高い黒髪の女と
満身創痍の青年は、
連れ立って
病院を後にした。