いつの間にか、感情の振れ幅が広くなり、表現と許容範囲が狭まった。
悲しい大人の第一歩です。
*15才
歌うように日々を生きようと決めた。青い蒼い空のした。私は、自分であり、誰かのための私になりたかった。
祖母は私の手を引きながら桜の門をくぐった。
「何組やろうなぁ。」
私は東京弁を心の中で貶しながら、関西弁の大きな声で話した。本当は東京になんて来たくなかった、と思う自分と、都会人の仲間入りをしたという変な高揚感だった。
「東京は人数多いんやねぇ。7組まであるね。」
祖母は目を丸くしながら、連なる名前の中に孫を探した。
「その7組やで。」
祖母の手作りのセットアップに身を包んだ私は、ラッキーセブンな高校生活を願った。
安っぽいアメコミのイラストが描かれたトレーナーに、チェックのタイツ、ベージュのミニスカート。今日も決まったな、なんてなんちゃって原宿ファッションを自画自賛していると
「向かいの滝澤さんやんな?」
振り向くと天パでクリッとした目の女の子と、日本人形のような、さらっとした女の子が立っていた。
友達の助言は、聞くものである。友達思いの言葉は嘘をつかない。嘘だと感じるのは、相手に嫉妬している自分の醜い感情だと、後々につまらない大人になってから気付くのである。