まさに神業であった。その太刀筋は正確にして神速、相手の鎧を貫くほどに研ぎ澄まされた威力を宿していた。
これほどの腕を持ちながら、半次郎はどの大名家にも属さない自由人であった。仕官の誘いはいくらでもあったが、戦国の世の風を嫌い、全てを固辞していた。
そんな半次郎が傾倒する人物が二人いた。一人は聖将と謳われた長尾景虎。もう一人は武田家の家臣、馬場信房であった。
信房との出会いは今から二年前、半次郎が甲斐の国で行き倒れになった時だった。
信房は見ず知らずの半次郎を自宅に招き入れ、何もいわずに飯を食わせてやった。更に別れ際、信房は半次郎に金を渡し、
「腹が減ったらこれで飯を食え」
そういって半次郎を送り出した。
この恩を忘れなかった半次郎は、幾度か信房の許を訪れたが、信房はただ笑顔で迎えるだけで、恩に着せるでもなければ何かを要求することもなかった。
その信房が三日前、頭を下げて三郎の事を頼んできたのだった。晴信に知れれば、自分の立場が危うくなるにも拘わらずである。
辺りに気を張り巡らしながら刀をおさめる半次郎。
「先を急ぎましょう」
そういって三郎に歩み寄る半次郎だったが、突然背後に気配を察知して振り返った。
そこにはただ夜の闇が拡がるだけで、人影らしきものは確認できなかった。
だが、半次郎は確かに感じていた。一瞬ではあったが、鳥肌がたつほどに冷たい視線を。
「……何かいるの?」
心配して近づいてきた三郎に、半次郎は不安がらせまいと無骨な笑顔を作って見せた。
「単なる気のせいでした。さぁ、行きましょう」