ところが一方、水野はいくらマスコミが騒ごうとどうでもよかった。
彼にはある信念があったからだ。
いくら世間が騒ごうと小説というものに対す姿勢が、ちゃんとあるからだ。
例え寝ていても。それは文壇デビュー以前にも同じことが言えた。
彼は寝ても覚めても小説の事しか頭になかった。彼はこの10年確かに書いた。しかし、もしやそれは出版業界の思惑と知りつつも書かされた振りをしていただけのことであった。
恐るべきし水野慎一。作家以前に人として実際の彼はもっと人間本来の大切なことを知っていたのだろう。
だから例え、一年寝ようが、一日寝ようが、実の所どうでもよかったのだ。寝ようが寝まいがと言うぐらいの気持ちでいた。