終業のベルが鳴った。
僕は何とか授業をしめた。「では、明日も小テストを五分間するのできちんと復習しておいてください。お疲れさま。」
三人組は早速、今日の僕の板書の解説を書き写したノートを囲んで談笑しだす。「今日の先輩はなかなかでしたねぇ。」
僕が聞いている、いないは関係なしだ。
「藍田さん、坂口安吾読んでるんだね。」
梨花も他の生徒たち同様、帰り支度をしていた。
僕は、最前列左端の梨花の席近くの板書を消しながら偶然を装って、背中を向けたまま顔だけを梨花に向けて話しかけた。
「あっ、はい。」
突然名前を呼ばれて驚いた顔は、大きくて切れ長の涼やかな瞳が見開かれていて、いつもの気軽に話しかけられない雰囲気の梨花ではなく、突然話しかけられて驚いているひとりの女の子だった。
「桜の森の満開の下、僕も読んだよ。あの話が一番好き。」
僕は梨花がバッグにしまおうとしている本に目を向けた。
「先生も坂口安吾、読まれるんですか?」
好きな作家の話だからなのか、顔は笑っていないけれども声にすこし明るさが出てきた。授業中、指名されて淡々と答えるときの梨花とは違った。
「最近、綺麗な題名にひかれて読み始めたんだ。」
「他の話も面白いですよ。不連続殺人事件とか。」
梨花は饒舌に話を始めた自分に気がついたようで、はっとした顔をしてバッグに本をさっとしまうと、「兎に角、面白いですから他の作品も全部読んでみて下さい。」
いつもの解答するときと同じ口調に戻って、失礼します。と言ってそそくさと教室を出てしまった。
まるで楽しそうに話す自分を誰かに見られるのを嫌がるみたいだった。
僕にしてみれば、あんな風に話が出来るところを少しでも見せてくれて安心した。
もしかしたら僕の妹と同じように、話ができる相手さえいれば梨花は本当に笑った顔ができるのかもしれないと思い、機会があればまた話しかけてみよう思った。
梨花にしてみれば、余計なお世話かもしれないけれども、放っておけなかった。