晴信が家督を継ぐ前、先代の信虎は戦好きの性格から領民を苦しめていた。
それを見兼ねた晴信は家臣と謀り、父を甲斐国外に追放していた。
そして今、家臣と領民を護るため戦に明け暮れる晴信は、自分に似過ぎた三郎を警戒するようになった。
それが武田家の運命を歪めるとも知らずに。
「それで、景虎は受け入れたのか?」
「その様です」
「殺すなり、捕らえるなりしてくれれば、攻め込む理由ができたんだがな」
この頃の景虎はそれほど評価されておらず、駆け出しの若武者というのが世間の見方だった。
だが、その戦術に天才の片鱗を感じた晴信は、早目に潰しておきたいと考えていた。
「話は変わるが、例の件はどうなっている」
「……シャンバラの件でございますか?」
訝しがる信房に、晴信は背を向けたまま頷いた。
それは最近やってくるようになった異人から聞いた、異国の噂話に端を発していた。
インドの古代文献にでてくる地底都市、そこをシャンバラといい、地上の洞窟の何れかと繋がっているという。
そこには聖人達が住み、地上より優れた文明があると噂されていた。
その存在は現代においても謎のままだが、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーが興味をもち、シャンバラを探させたという逸話がある。
「これといった報告は入って下りませんが、……本当にそのような国があるのでしょうか?」
信房にはシャンバラなど、到底信じられるものではなく、晴信が探索を命じた真意が解らずにいた。
「異人の話だけなら、わしも信じはしない。
だが、この地にもあるのだ。昔洞窟に迷い込んだ男が、もののけの女に助けられた話がな」
この話と異国の噂話にわずかな接点を見いだした晴信は、シャンバラの存在に微かな可能性を感じていた。
「まあいい、この件は金脈の探索ついででよい。それよりもだ」
信房に体ごと視線を向けると、晴信は真剣な面持ちで語った。
「三郎と景虎が結び付いた以上、長尾家は武田家の最大の障害となるやもしれん。
お前にはより一層働いてもらうぞ、よいな信房」
この二年後、晴信は川中島で人生最大の敵となる影虎と衝突することになる。
時は西暦1551年、歴史の流れが加速する年の出来事であった。