「旅立つお前に、元服の名を与えねばならんな」
景虎がそういうと、三郎は思い詰めた表情でこたえた。
「願わくば、半次郎殿と同じ名を名乗りたいと考えております」
それはこの七年間、心に秘めていた想いだった。
「我が友もあの世で喜んでおろう」
三郎の望みを容認した景虎は、三郎の中に義の心がしっかりと根付いていることを知り、嬉しく思っていた。
「話しは変わるが、お前はしゃんばらなるものを知っておるか?」
別れの時が近づいていたが、武田家の不穏な動きを知った景虎は、三郎改め半次郎に確認しておく必要があった。
「しゃんばら、ですか?……いえ、初耳です」
「地底の国をそう呼ぶらしいが、そこには優れた武器や不老不死の秘薬などがあるという。
そんな絵空事を晴信が信じ、入口となる洞窟を探していると聞いてな、わしには正気の沙汰とは思えぬのだが、お前に聞けば何かわかるのではと思ったんだがな」
半次郎自身、そんな国があるとは思えず、晴信の真意は皆目見当がつかなかった。
「別れの日に栓無い事を口にした、忘れてくれ」
謝した景虎は改めて半次郎と向き合うと、その両肩を握り締めた。
「旅を終えたなら必ず帰ってこい。よいな、我が息子よっ」
半次郎はこの景虎の優しさを、生涯忘れることはなかった。
春日山城を後にした半次郎が最初に目指したのは、後藤半次郎が眠る地だった。
そこは時の流れとは無縁で、七年前と同じ風景をとどめていた。
郷愁に導かれ、綺麗に塞がれた洞窟の前まで来ると、半次郎はひざまずいて手を合わせた。
「半次郎殿、三郎は貴方のおかげで元服することができました。その際に名を貴方と同じものに改めたのですが、許してくれるでしょうか?」
半次郎はこの七年間の出来事や想いをつぶさに語った。
一方通行の会話ではあったが、それでも半次郎の心は満たされていた。
どれだけの時が経ったのか、気付けば日が傾きかけていた。
「また会いにきます」
名残惜しくはあったが、半次郎はそういって会話を終えた。
立ち上がった半次郎は辺りを見回していた。
もしやの思いで探してみたが、やはりノアの姿はない。彼女との約束までは、まだ三年ある。
「まずは相模の北条から見に行くか」
半次郎は東へと歩きだしていた。