策はある。陽動をもって敵の兵力を分散させ、相手の総大将である今川義元を討ち取れば、兵力差は意味をなくす。
ただ、これには必須条件が二つあった。それは義元の居場所を正確に把握することと、敵にこちらの動きを悟られないこと。
織田家の当主である信長は、半次郎が画策した通りの動きをした。
支城の一つに敵軍の主力を誘き寄せた信長は、義元の居場所をつかむのに手間取ったものの、ぎりぎりのところで田楽狭間にいると知り、全兵力を急行させた。
この時の信長には、二つの幸運があった。
一つは黒衣の宰相と称された今川家切っての智将、太原雪斎が既に亡くなっていたことである。
彼が存命ならば、信長の思惑は看破されたかもしれないが、現在の今川家には雪斎に代わる者はなく、織田軍の篭城を疑う者は誰一人としていなかった。
もう一つは行軍する自軍の気配を雨が掻き消し、今川軍に悟られなかったことだ。
突如現れた軍勢に今川軍は壊乱し、義元は訳のわからぬままに討ち取られていた。
信長の快進撃は、まさにここから始まるのである。
この時の半次郎は、凱旋する信長を遠くから眺めるだけで対面はしなかったが、その人となりは検証していた。
常識や先入観にとらわれない柔軟な思考力と、思い切った行動力は優れている。
戦術と戦略の判断も悪くなかった。
だが、この男に晴信や景虎ほどの力は感じなかった。
後の話だが、信長自身もそれを自覚し、強大な軍事力を有するに到っても、この二人にだけは平身低頭して衝突を回避していた。
半次郎には一つだけ、見極められない点があった。
ここぞというところで降り始めた雨は、単なる偶然だったのか、それとも信長が持って生まれた強運なのか。
この時の半次郎には知る由もなかったが、この後も信長の強運は続いた。
ましてや半次郎自身がその強運に組み込まれようとは、思いもしなかっただろう。