停滞した刻。
うつろわない景色。
ただ、そこにある、此岸と彼岸。
気がつくと、ゼルはそこにいた。
彼方には、流れを知らぬ川と、浮かぶ一艘の小船。
その傍らに立つ、フードを目深に被った人影が、少し驚いた様子で声をかけてくる。
「…おや、小間使い殿。皮肉な再会ですな」
渡し守なのだろう。手には櫂が握られている。
「まさか、ここに来られてしまうとは」
渡し守は、穏やかに笑っているようだった。
「あなたが死者として渡られたら、神はさぞ悲しむでしょうなぁ。
あなたのそのいでたちを神は大変気にいられ、自らの魂を小さく小さく分け、練り、小間使いとしたのです。
小間使いと言ったら粗末に感じるでしょうが、そんな事はありません。
死の神も、命を扱うお方。命には慈しみもありますし、命を、存在を創る憧れもあったのです。
間違っているのは、他の神と、福音をねじまげた人間です。
死は悪ではない。
光に影があるように、必然の存在なのです。
死があるから、
命には限りがあるから、人は輝く、輝こうとするのですよ。
今の人間は、それを忘我の彼方へ追いやろうとしています。
確かに、死は恐ろしい。
痛みもあるし、経験も、連れ添った他者も、地位も名誉も財産も全て失ってしまう。
そして何より、自分という存在が消えてしまう恐怖は何にも変え難い。
ですが、生まれたら、いずれ死ぬ。
始まれば、いずれ終わる。
それは、命だけではない、【存在】という定義においての必定なのです。
貴兄は、その代弁者。
実は貴兄は、自らが思うより大きな存在なのです。」
長い口上に、ゼルの瞳がやるせなさを帯びて曇った。
「…主に、謝らねばならんな」
また、フードの下で渡し守が皮肉を含んで微笑んだ。
「大丈夫、貴兄は渡らない。いや、渡れないのです」
「…?」
「…ほら、そこに」
渡し守がフードをついと上げ、その眼ともとれぬ暗い瞳が、ゼルの後方をさした。
振り返ると、
あの少女が、ゼルの上着をしっかり握っている。
「貴兄は、まだ死者ではない。
戻りなさい」
そしてまた、渡し守は穏やかに微笑んだ。