ディナーの晩餐 10月23日

ディナー  2009-10-23投稿
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皆さん、お疲れ様です。

徒然なる日々を綴るディナーの日記です。

先程、神のパシリ11を書いたのですが、今回はディナーの死生観がもろに出ていまして、興に乗じこちらにも少し。

書いていて感じたのは、自分の死への考え方の変化です。

元々人一倍多感だったディナーは、小学四年辺りで【死】に、異様なまでの恐怖を覚えました。

いくら頑張っても、いずれ全て無に帰してしまう。
ただ暗く、怖い、自らを否定する定義。

ディナーは頑張れなくなりました。漠然と死ぬのが怖くて、いじめられてた学校とかも行かなくなりました。

現実を嫌悪するほど堕ちる所まで堕ちて、中学くらいで感覚は変化します。

死にたくなったのです。

死んで、自分という存在を綺麗に消して欲しい。
生きていたくない。
生きている方が、存在している方が辛い、と。

ですが、ディナーは幸運な事に、周囲に、両親にとても恵まれていました。
加えてディナーはとても臆病でした。
生への執着も捨てきれませんでした。

幾度となく、答えがないのに答えを出そうとして、人生の漆黒と明かりの下を行ったり来たりしました。

此岸の岸壁ぎりぎりに立った時もありましたし、ぼんやり彼岸を見た時もありました。

いつかははっきり分かりませんが、それを繰り返して、【死】の感覚は、前より楽になりました。

きっと、【死】が詳しくどうしたらなるかを、自然に社会やメディアで学び、

万民に、すぐに突然来るものではなかったと、二十年以上生きて思い込み、

生がある限り避けられない因果なのだと分かり、

そして現実に幸せを見つけて少し安心し、
何より、
【生きるのをやめなかった】
からだと思います。

もちろん、今では死ぬのは嫌です。
確かに、地位も名誉も財産もないですが、
自分の周りを、自分自身を今は失いたくないと思えます。

今の自分が成立しているのは、自分という【存在】に【関与】してくれた全ての【存在】のおかげです。

ありがとう、と言いたいです。

これを読まれた、【関与】された方にも、ありがとうと伝えたいです。

ありがとう。

いい言葉だと思えます。

何を伝えたいんだか…(笑)

いつにも増しての駄文、失礼しました。

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