皆さん、お疲れ様です。
徒然なる日々を綴るディナーの日記です。
先程、神のパシリ11を書いたのですが、今回はディナーの死生観がもろに出ていまして、興に乗じこちらにも少し。
書いていて感じたのは、自分の死への考え方の変化です。
元々人一倍多感だったディナーは、小学四年辺りで【死】に、異様なまでの恐怖を覚えました。
いくら頑張っても、いずれ全て無に帰してしまう。
ただ暗く、怖い、自らを否定する定義。
ディナーは頑張れなくなりました。漠然と死ぬのが怖くて、いじめられてた学校とかも行かなくなりました。
現実を嫌悪するほど堕ちる所まで堕ちて、中学くらいで感覚は変化します。
死にたくなったのです。
死んで、自分という存在を綺麗に消して欲しい。
生きていたくない。
生きている方が、存在している方が辛い、と。
ですが、ディナーは幸運な事に、周囲に、両親にとても恵まれていました。
加えてディナーはとても臆病でした。
生への執着も捨てきれませんでした。
幾度となく、答えがないのに答えを出そうとして、人生の漆黒と明かりの下を行ったり来たりしました。
此岸の岸壁ぎりぎりに立った時もありましたし、ぼんやり彼岸を見た時もありました。
いつかははっきり分かりませんが、それを繰り返して、【死】の感覚は、前より楽になりました。
きっと、【死】が詳しくどうしたらなるかを、自然に社会やメディアで学び、
万民に、すぐに突然来るものではなかったと、二十年以上生きて思い込み、
生がある限り避けられない因果なのだと分かり、
そして現実に幸せを見つけて少し安心し、
何より、
【生きるのをやめなかった】
からだと思います。
もちろん、今では死ぬのは嫌です。
確かに、地位も名誉も財産もないですが、
自分の周りを、自分自身を今は失いたくないと思えます。
今の自分が成立しているのは、自分という【存在】に【関与】してくれた全ての【存在】のおかげです。
ありがとう、と言いたいです。
これを読まれた、【関与】された方にも、ありがとうと伝えたいです。
ありがとう。
いい言葉だと思えます。
何を伝えたいんだか…(笑)
いつにも増しての駄文、失礼しました。