突如、
首筋がゾワッとした。
「おはよう。」
耳元で、ささやく声。
花鼓は、驚いて、
立ち上がった。
「誰?」
遮る物のない太陽に
暖められ、膨張した、
湿った空気が
顔にまとわり付く。
辺りを見回すが、
人影は、ない。
花鼓の声に、
真龍は目を覚ました。
寝ぼけ眼で
ぼんやり
空を見上げた真龍の目と、
眩しい青空をバックに、
立ったまま見下ろす
花鼓の目が、合った。
真龍は
慌てて起き上がった。
「ご、ごめんなさい、私…」
顔に張り付いている
髪の毛を、
横に避ける。
ポケットをさぐったが、
何処で落としたのか、
櫛が入っていなかった。
急いで
くしゃくしゃの髪に、
手櫛を通す。
無理に
通そうとすればする程、
指に絡む髪の毛に、
起きがけの頭で
苛々しながら、
一方で、
どうしよう、どうしよう、
言い訳…言い訳…、と
考えを巡らせていた。
「おはよ。」
「お、おはよう。」
髪をすく手を
止めた。
「ごめん、
起こしちゃった?」
「ううん。」
真龍は、動揺を
そのまま勢いに変えて、
勢いよく、
首を振った。
その姿は、小動物が
顔に付いた草切れを
首を振って
落とそうとするようで、
何処か、
可愛いらしかった。
花鼓は、
心の隅に
巣くっていた闇が、
薄まっていくのを
感じた。
「よかった。」
自然、優しい気持ちが
語勢に出る。
そもそも、
被害者の前で
のうのうと眠る
誘拐犯が、あるだろうか。
策はあっても、
悪意はないのだろう。
未だ狼狽している
真龍の隣に、
花鼓は、
膝を抱えて
そっと、座った。
「博士って、誰なの?
この前病室で
言ってたよね。
博士が、って。」
迷路から
助け出された安堵と
悲哀が、
真龍の顔の上で
交叉した。
温かい風が
どうっと吹いて、
2人の髪を
ひるがえした。
「私を助けてくれた人。」
風の中、
今にも消え入りそうな
真龍の声を、
花鼓は
聴き逃さなかった。
「私の
姉さんの
代わり、
に。」