オスカーワイルドのドリアン・グレイの小説を読んでた時に気になる言葉があった。それは退廃は教育であるという言葉だ。
退廃するという事は人生の底辺に存在する事を表す。分かりやすく言えば、アンダーグラウンドの人間は退廃してると言えよう。
その人間の最も恥じたる生活でさえも一つの教育として考える事が僕には刺激的だった。
特に芸術家を目指す者としては一度はそういうふしだらな世界に足を踏み入れてその事をネタに何か作品が作れるのではないかと予期するのである。
アルコール、ドラッグ、ギャンブル、SEXなど人聞きの悪い言葉は時には活躍する事もある。
村上龍の有名小説、限りなく透明に近いブルーの世界はまさに刺激的で読む者を魅了する。
僕は普通の生活をしている人が一番幸せであると思える。しかし、普通からはありきたりという言葉しか生まれない。
退廃している人は欲求に身を滅ぼされるのである。デザイアという寄生虫に寄生されるのである。いくら欲求を満たそうとして努力をしても満たされないのである。しかし、そこにはドラマがある。普通では無い言葉では言い表せない何かがあるのだ。
退廃からはたくさんの貴重な芸術が生まれる。その世界で学ぶ事は学校で勉学を学ぶのと等しいものが得られる。退廃は教育なり。
今日も世界の至る所で人間の最も遺憾なる生活を送っている人々がいる。彼等、退廃者からは普通とは違う新鮮で刺激的な何かが得られるだろう。
人生、太く短く生きるべし。