信州に流れる千曲川と犀川。この二つの川が出会う地が川中島である。
ここで四度目の会戦が行われたのは、1561年初秋の事だった。
この時の晴信は後世にも有名な信玄の号を使い、一方の景虎も関東管領に就任し、上杉政虎と改名していた。
一万三千の軍勢を率いて出陣した政虎は、信玄が信濃攻略の橋頭堡として築いた海津城を攻めず、そのまま妻女山に布陣していた。
遅れて到着した信玄も入城することなく茶臼山に二万の兵を布陣すると、両軍は睨み合いを続けた。
先に動いたのは武田だった。悠然と軍を入城させる信玄は、つられて上杉方が動くのを待っていた。
だが、政虎は動かなかった。
その後、両軍共に攻め手を欠き、再び膠着状態が続いた。
半次郎が上杉軍に合流したのは、その状態が限界に近づいていた九月九日の事だった。
「お館様、半次郎が来てくれましたぞっ!」
軍師の直江景綱が顔を綻ばせながら半次郎を連れてくると、諸将達から歓喜の声があがっていた。
政虎はこの光景がおかしかった。
彼は今戦っている信玄の実子であるのに、家臣達はその帰参を心から喜んでいる。
これも半次郎の人徳かと思うと、政虎は自分の事のように嬉しく思っていた。
「お久しぶりです、政虎様」
「半次郎の名をもつ者は、わしが窮地に立つと必ず来てくれるな」
久闊を叙する半次郎と政虎。
「早速だが、お前の意見を聞かせてくれ」
政虎から現在の戦況を詳細に聞くと、半次郎は上杉の劣勢を知り、打開策を模索し始めた。
敵の半数程度の兵力では城攻めは無理だが、城外に誘い出したとしても、数で勝る敵に正攻法は通じない。
上杉勢が勝つには武田軍を誘い出して分断し、各個撃破するしかなかった。
だが、肝心の敵を分断する策が無い。
陳腐な策では、信玄に通用するはずがないのだから。
思案に詰まる半次郎はふと思った。有利なはずの信玄は何故攻めてこないのか。
理由は明確だった。
上杉軍が陣取る妻女山の眼下には八幡原という平地があるが、その間を隔てるように千曲川が流れていた。
妻女山と千曲川の間には大軍が展開する空間は無く、信玄が強攻すれば川を渡りきれずに多くの兵を失うことになる。
数で圧倒する信玄の戦略的有利を、政虎の戦術が無にしていたのだ。