皆さん、お疲れ様です。
徒然なる日々を…最近綴らないディナーの日記です(笑)
今日、ディナーの両親と買いに行ったお茶っ葉(緑茶)で一服しました。
ディナーの父親の本家は、前の前辺りまで(笑)は、それなりの裕福さだったらしいのですが、その頃からお世話になっているお茶屋さんの、結構お高いヤツです。
いや、もう今は普通か、普通以下ですよ(笑)
…で、そのお茶屋さんは、一見分かりにくい所にぽつんとあり、お茶屋だとはわかりにくいです。
ご主人はかなり高齢ですがとても元気でダンディで洒落者、まるでセバスチャンのようです…なぁ、セバスチャン。
そこのお茶はそのご主人が買い付け、自らブレンド、加工した物です。
頂いたお茶はとても香り高く、嫌味な渋味が一切ない飲み易さにも関わらず、後味はお茶らしい好印象な渋味が残る、とても美味しい物でした。さすが、じじいブレンド(笑)
…ただ、気になったのはご主人の応対。
以前は快活だったのに、こないだ行った時はまるで覇気がなく、ろれつも悪く、精算もずっと遅くなり、
店の隅にヘルパーさんの番号、
有り得ないのは、ご主人の首には連絡先と名前の札……。
信じられませんでした。
あんなに元気だったのに…。
みんなで心配した帰りの車中、母が呟くように、
「これが飲めるのも、最後かも知れないね…」
とぽつり。
ディナーは、否定できませんでした。
それほど弱ってみえたのです。
命には、終わりがあります。
命だけでなく、始まるモノには終わりがある。
最後の時、悔やむか本望かは、その人の歩んで来た生き方次第なのだと思います。
死は、逆らえないものだし、尊重するものでもある。『神のパシリ』でも書いている事です。
死があるからこそ、生は輝くのです。
死が誰にも訪れる限り、誰もが輝いているはずなんです。
生きている。明日を迎えられる。今日を過去のものにできる。
ただそれだけの行為は、間違いなく人を、生きる者を輝かせているはずです。
これをもし読まれた方が、無事に明日を迎えられますように。
それが、少しでも希望に満ちたものでありますように。
…相変わらず支離滅裂っ(笑)
では、また。