永禄四年九月十日の川中島は、未明から深い霧が立ち込めていた。
昇り始めた日の光を濃霧に遮られる最悪の視界の中、行軍する武田信玄は一抹の不安を感じていた。
先日の軍議で重臣の飯富虎昌、馬場信房の両名から決戦すべしの提言をうけ、信玄は軍師の山本勘介が起てた啄木鳥の戦法を採用していた。
この作戦自体には何の不安も感じていなかったが、彼には他の要因で気掛かりな事があった。
それは前日に行った戦準備の炊事のため、煙りが大量に上がってしまった事だった。
なぜ大量の煙りが上がったのか、政虎がその理由に気付き、結果として上杉方が兵を動かしていた場合、その危険性に考えを及ばせていた。
最悪の事態を考慮し、いっそ千曲川を渡河せずに布陣しようかと、信玄は考えていた。
そうすれば対岸に敵軍が移動していても、両軍共に渡河できず膠着状態に持ち込める。
そうなれば、いずれやってくる別動隊との挟撃が成るのだ。
だが敵軍が動いていなければ、信玄は別動隊との同調を欠き、勝機を失うことになる。
結局、信玄は進軍を止めることができなかった。
そして武田軍の八幡原到着と同時に、立ち籠めていた霧が晴れていく。
事態は、彼が予測する最悪の情況で推移していた。
突如眼前に現れた上杉軍に、武田軍は浮足立っていた。
逆に待ち構えていた上杉軍は士気が高く、兵数においても大きく上回っていた。
第四次川中島会戦は、こうして上杉軍の圧倒的優勢で幕を開けた。