君に捧ぐ 〜19〜

k-j  2009-11-12投稿
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 あの夜どんな会話があったか詳しく覚えていない。
 覚えているのは、話を聞いているときに、君がそっと僕の手を握ってきたこと。
 それはとても静かな動きだったのに、怒っているように荒々しく、またすがりつくように力強かった。
 君を見た。
 怒ったようにうつむいていた。
 僕は迷ったが、強く握り返した。
 君の目から涙が流れた。
 僕の手がさっきよりも強く握られた。
 気が付くと僕も泣いていた。
 君の手はとても暖かかった。

 そしてもう一つ。僕に最初に話し掛けてきた男の人の言葉。
「どんな状況でもその瞬間を楽しめ」
 どんな辛いときだって、見方次第で良いこともある。人生は一回きりだ。楽しまなきゃ損だぜ?
 そんな言葉が印象的だった。
 その通りだと思った。いつかそんな大人になりたいと思った。
 その部屋に居る人はみんな“今”を生きていた。
 今したいことをする。
 そのときの気分で行動する。
 その部屋にはそんな空気があった。
 そのだらっとした空気はとても居心地がよかった。
「頑張んなくていいんだぜ?」
 そう言われてるように感じた。

そうして、だらっとした空気の中で僕達は仲直りした。したと思っていた。
 君は突然立ち上がり、帰ると一言言って部屋を出ていった。
 仲直りしたのだから当然一緒に帰るのだろうと思っていた僕は、あまりに突然のことにただ唖然としていた。
「ほら、何してんの? 追っかけなさい!」
 女の人が僕の背中をどついた。
 我に帰った僕は、お礼もそこそこに部屋を飛び出した。
 一気に階段を降りたが、君の姿は見えない。
 君の名前を呼びながら駅まで走った。
 どこにもいない。
 どこにいる?
 もう電車に乗ってしまうかもしれない。
 券売機に駆け寄り一番安い切符を買い、改札をすり抜けホームに走った。
 やはりいない。
 自分の鼓動と息しか聞こえない。
 僕はベンチに倒れ込むように座った。
 汗が滝のように出ている。
 呼吸が落ち着き体勢を元に戻す。
 いた。
 線路の向こうの道路に君はいた。
 僕はさっき降りたばかりの階段を駆け上がった。
「大事なものを忘れてしまったんです」
 改札横の駅員に切符を渡し、階段を駆け降りた。
 君がいる。
 僕は言った。
「一緒に帰ろう」
「うん」
 君は泣きながら頷いた。
 君の手を握る。
 とても暖かかった。



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