山口
「そりゃ、そうだけど…」
朝倉
「そうでしょ、ちょっと騒ぎすぎよ。
きっと何かの用事で、たまたま乗せただけよ」
戸倉
「そうよねぇ、あの二人ができちゃうなんてないわよねぇ、どう考えたって。
それにさ、大西麗子がいるもんねぇ、石崎部長には。
ちょっと、あんたが変な事言うから混乱するじゃない」
山口
「あたしはただ目撃した事を正確に発表しただけじゃない。
なによ!せっかく目撃してきてあげたのに。…でもさぁ、ひとつだけ気になるのよね。
石崎部長さ、なんだか本当に楽しそうだったんだ」
* * * *
車は都市部を外れて山間の道を走っていた。日はすっかり落ち込み、辺りには人家もほとんどなく、また行き交う車も皆無に近かった。
「君、ずいぶんと…」そこで石崎武志は言葉を切った。
「いいんです。
そのとおりですから。君ってずいぶんとヘンピなところに住んでいるんだねって、そうおっしゃりたいんでしょ」
そう言って川島美千子は笑った。
会社を出発してから、すでに二時間以上が経とうとしていた。
「通勤するのが大変だろう、特に朝は」
「そうですね、家からバス停までは歩いて四十五分くらいかかります。
始発のバスに乗って駅まで行って、電車に乗り換えて…でも、もう慣れましたから」
「偉いなぁ。
なんだか僕は君の事を知らな過ぎたようだ」これは石崎武志の素直な気持ちだった。
車に乗ってからずっと、二人はとりとめもない事を、ぼつぼつと話し続けていた。
川島美千子は決して口数の多いほうではなく、気の利いた話題があるわけでもない。
うまいジョークや洒落た会話などとも無縁で、だから本来なら石崎武志は、彼女との会話が退屈なはずだった。しかし、実際は違っていた。
なぜか二人の会話は、ゆっくりとしたペースではあるが、決して途切れる事もなく流れていた。
それは彼にとって、とても穏やかな時間だった。
毎日の会社での連続する責務。
営業部長という役職がら、失敗は会社の損失に直結している。
その重苦しい緊張感との闘い。
一瞬たりとも休まる事のない、張り詰めた糸のような彼の精神を、暖かく救ってくれる時間のように思えた。
カチカチに凝り固まった全身を、優しくマッサージしてくれるような会話は、二時間という時間を長くは感じさせなかった。