「石崎君、わしは彼女を崇拝しそうじゃよ。
でも、どうしてこれ程の店を閉店したのかね?」
「三年前に母が亡くなって、店を続けられなくなったんです」
「そうなのか、それは残念だな。
ところで一度も聞いてなかったが、このレストランはなんという名前だったのかな?」
「このレストランの名前は
『サマンサ・キッチン』
です」
石崎武志が答えた。
それを聞いた藤本の顔が、一瞬青ざめた。
今までの笑顔は消え、急に深刻な表情をした。
「ここが…
そうか、ここが
『サマンサ・キッチン』
なのか… 」
「専務はご存知だったんですか、この店を?」
「いやなに、ちょっと人に聞いた事があるんだ。
おっと!
石崎君、もうこんな時間だ。
そろそろ失礼しないとな。
川島さん、今夜は大変ご馳走になった。
何度も言うようだが、本当にうまかった。
今夜の晩餐は一生忘れないだろう。
ただ…」
藤本はそこで言葉を切り、彼女の手を見た。
「ただ、わしが思うに、もしかしたらあなたは、神のために選ばれた、神のための料理を作る料理人なのかもしれない。
残念ながら人には、それを受け入れるだけの強さがない。
あなたはきっと、自分の料理を料理として受け入れてくれる人間を捜して、一生さまよい続ける事になるかもしれない。
さぁ、石崎君行こうか」
藤本はやや早足で表に出た。
「今夜はありがとう。
おかげで専務の機嫌も、すっかり直ったよ。
また明日会社で」
石崎武志はそう言い残すと、藤本を追って車に向かった。
二人を乗せて出発した車の後ろ姿を、ドアの前に立った川島美千子は、いつまでも見ていた。
その表情は、今にも泣きそうなほど、悲しかった。
暗い夜道を、ヘッドライトだけを頼りに走る車の中で、もう三十分以上も藤本は口をきいていなかった。
さっきまであれほど雄弁に話していたのに、
『サマンサ・キッチン』
という名を耳にした時から、彼は急に無口になった。
「あの、専務。
お聞きしたい事があるのですが。
さっき専務は彼女に
『料理を料理として受け入れてくれる人間』
とおっしゃいましたが、あれはいったいどういう意味だったんですか?
それを聞いた時、彼女がとても悲しそうな顔をして…
専務は
『サマンサ・キッチン』
をご存知だったんですか?」