「武志さん!
あなた、おかしいわよ!
狂ってるわよ!」
大西麗子は怒鳴るようにそう言うと、クルリと背を向け、ドアに向かって早足で歩いた。
もう一瞬でも、この場にいる事さえ我慢出来なかった。
彼女はドアを開け表に出ると、後ろ手で叩きつけるようにドアを閉めた。
その彼女の様子を、川島美千子は悲しそうな表情で見ていた。
深夜の道を、大西麗子は車を飛ばし続けた。
あの場所を離れてから三十分も経つのに、彼女の気持ちは一向に収まりがつかなかった。
なぜ、あんな女と!
その言葉が頭の中で、幾度となく繰り返し再生される。
せめて自分と対等に近い女なら、まだ納得がいった。
だが、どうしても納得できない。
なぜ、あんな女と…
ふと気付くと、ハンドルを握る右手の甲に、焦げ茶色の、ドロッとした液体が少し付いていた。
頭に血が昇っていたので今まで気付かなかったが、それは彼女が皿をひっくり返した時に飛び散った、ハンバーグのデミグラスソースだった。
ハンドルを握っているので、拭く事ができない。
無意識のうちに、彼女は右手の甲を口に近づけ…
そして、それをペロリと舐めた。
石崎武志の帰った後の店内は、ガランとして虚しい空間だった。
何もない静寂の中で、柱時計だけがコチコチと時を刻み続けている。
川島美千子は、いつも石崎武志と向かい合って座る席で、ロシアンティーを飲んでいた。
向かいの席には、彼の代わりにシャーベットが座っている。
「ねぇ、シャーベット。
あの人、とても綺麗な人ね。
彼とお似合いよね。
まるで相性のいい、お料理とワインみたい。
それに比べて私は…
…私だって幸せになりたいよ。
私だって幸せが好きよ。
…でもね、幸せは私を嫌ってるみたい。
やっぱり母さんが言っていたように、私はお料理を作っちゃいけなかったのかな。
でもねシャーベット。
私からお料理を取ったら、何も残らないもん。
何にもないもん。
お料理は私が持ってる、たったひとつの宝石だもん。
その宝石を着けてる私を、好きだった彼に見て欲しかったの。
それだけだったのに…
ねぇ、シャーベット。
私もシャーベットみたいに、綺麗に生まれたかったよ」
川島美千子は手を伸ばし、シャーベットの頭を優しく撫でた。