裕福な家に生まれ、夢うつつであるからなのか、千鶴子は、恋をしている自分に酔う女であった。
小学生の頃、結衣子は、母親の不倫に怒った父親が、母親をしかりつけ、泣きながら飛び出したのを、追わされたことがある。
千鶴子は、悲劇の主人公であった。
電話ボックスに飛び込むと、泣きながら誰かに電話をしている。
近寄ると、劇の中にいるような千鶴子の泣き声が聞こえた。
「いいの!」まさに、なりきりプリマドンナの様の母親は続ける。「いいの!千鶴子は、もう、いいの!」
子ども心に白けた。
三文芝居でも、やっていると、当人は酔うらしい。
千鶴子の頭の中は、常に、こういった夢想の世界に近く、彼女の姉妹は、口々に、千鶴子は、作り話が上手いと言った。
結衣子は、このような母親と妹を持ったことで、情けない思いを繰り返したが、この二人がいかなる仕打ちをしてこようとも、悲しいとも、悔しいとも思わなかった。
親しい仲間の死から、身近な生徒の思いやりに感動した時など、仲間内では、泣き虫呼ばわりされる結衣子が、この二人の為に涙することはなかった。
どれだけ、心配した友人が、結衣子が傷つけられたことに怒りを訴えてきても、結衣子が彼女達によって、疲弊はしていないことを告げ、あなたが、怒って心を騒がすに足りない相手なのだと告げた。
あんな奴、死ねばいいのよと言って怒ってくれる友人に感謝して、こんな生きざまで死んでいくのは、なんと哀れな生きざまだろうと思った。 結衣子の父親が、神道の直系の長男である為に、その末裔の長女として、田舎の冠婚葬祭にも参加するなど、一族の末裔の責任を感じて長じた結衣子には、どのような無様な生き方をしようが、彼女達が来るべき時を迎え、天に召されることが終わるまで、生存を助けねばならないと、愛情もなく、食卓の用意はしてやった。
そして、それを当然のように食しながら、マヨネーズ一つでも、結衣子の元からせしめることに躍起となる親子を不思議な感覚で捉えていた。 ようするに、肉親でありながら、どうでもいい存在になってしまっていた。 ただ、憎しみを顕に、何事かを聞こえよがしに口走ってくるのが五月蝿かった。