突然なんすけど、自分は縛られた生活の中で、日々を送ってるんす。
決まった時間に起きて、決まった時間に寝る。
その間には、決まった通りの動きしかしないんすよ。
例えば、飯も風呂も決まった時間帯にしか食べたり、入ったり出来ないんす。
平日は決まった日々しか来ないんす。
でも、これが結構耐えられるんすよ。
きついのは、家族と旧友に会えない事っす。
夜は感情が剥きだしになるんすけど、そん時は胸が締め付けられる程の寂しさに陥るっす。
そんな生活の利点は、<経験>っす。
外は雨、電気はライトだけ、寝るのはテント、着るのは濡れた服、御馳走に見えるわずかな飯。
普通の生活の全てが有り難く思える日々を送ったんすけど、世界の見方が変わるっす。
こんな<経験>が自分の人生の報酬っす。
そして、こんな縛られた日々も、今は愛着があるんす。
一緒にいる仲間も、気のいい奴らで、別れも難しいっす。
自分は、ふと思ったんすけど、縛られた生活は自分を守るんすね。
自由は結局のところ、ルールを自分で決める権利があるだけで、ルールには縛られると思うんす。それも、大抵は集団のルールっす。
ルールを守らない人は、孤独しか無いような気がするっす。
当たり前っすよね。
でも、一方でルールを破る時も必要なんす。
こういうのを、自分らのところじゃ<臨機応変>って言うっす。
都合のいい言葉にも聞こえるんすけどね。