その願いは、幸運にも聞き入れられた。
打球は推進力の低下とともに左に曲がり始め、フェンス手前でファールゾーンへときれていった。
二球目と同じ外角勝負を選んだ哲哉だったが、彼が辛辣だったのはボール半個分外にはずして要求したことである。
それを大澤が強引に打ちにいったため、打球に微妙な横回転がかかり、この結果を呼び込んでいた。
安堵のため息をつく哲哉。だが、勝負はまだ終わってはいない。
「タイムお願いします」
大澤にそう告げると、哲哉は返事を待たずにマウンドへと駆けだした。
「いやぁ〜、見たかよ今のスイング。ありぁ、人間業じゃないな、アハハッ」
喜々として語る八雲を、哲哉はため息混じりにたしなめた。
「笑い事じゃない、このままじゃ勝ち目はないんだぞっ!」
「んなこといったって、オレに直球以外の決め球ないよ」
「タイミングをはずすくらいできるだろ。それでも難しいと思うけど、直球で押すよりは勝算がある」
それが最善策だと判断した哲哉は、その考えを主張した。だが、それを聞く八雲は怪訝な顔をし、首を縦には振らなかった。
「てっつぁんほどのやつでも、判断を誤ることがあるんだな」
目を丸くする哲哉から大澤に視線を移すと、八雲は穏やかな笑みをうかべた。
「今大事なのは勝つことじゃない、あの人に野球の楽しさを思い出してもらうことさ。そうじゃなきゃ、入部してもらっても意味がない。
だからここは、真っ向勝負じゃなきゃダメだ」
大澤を一瞥した哲哉は、小さくかぶりを振ってため息をついた。
「…まったく、人の苦労も知らないで」
口では非難する哲哉だったが、八雲の言い分に十分過ぎる道理を感じていた。
だが彼は、それを認める前に確認しておかねばならない事があった。
「甲子園はどうするんだ。この勝負に負けて大澤さんが入部しないといえば、おそらく俺達は地区予選すら覚束ないぞ」
八雲はおもむろに空を見上げた。
壮大に流れる蒼白の雲と、春から夏に変わりゆく日差しに目を細めた彼は、遥か遠くに想いをよせていた。
「……誰かを犠牲にしていく甲子園に、何の意味がある。きっと小次郎も喜んではくれないさ」
八雲が小次郎の名をだすと、哲哉はそれ以上の言葉を失っていた。
二人にとって、その人物が特別な存在であったからだ。