はじめは、物珍しさで気分を高揚させて子育てに臨んだ千鶴子だが、実際の家事や大変な部分は、千鶴子の父親を筆頭に、二人の妹や、たまに立ち寄る母親が担った。
結衣子が通常の子どもより優れていると周囲が言えば、その功績は、すべて、母親である自分のものだと千鶴子は誇った。
自分の連れ合いが、親兄弟の面倒をみているのも、自分のお蔭なんだと思うと、何から何まで誇らしかった。
そのうち、結衣子が皆に可愛がられるのも、自分あってのことだと言いたいのだが、周囲が全く自分ではなく、結衣子そのものを賞賛しているのを感じ出すと、幼い結衣子が疎ましくなった。
ただ、この頃は、同居の人間も多く、結衣子が小さいので、露骨に結衣子を傷つけるようなことも控えた。
千鶴子の両親は、普段は気が合わず別居状態だったが、孫の精神衛生を考慮して、外に連れて出かけることも頻繁に行った。
特に、千鶴子の父親は、二度と、千鶴子のような人間を、この世に輩出してはならないと思い、結衣子を縁の母子寮や孤児院など、視野を広げさせる場に同行させた。
千鶴子が、疎開先への感謝も持たず、その土地の人々を『田舎の人』という、見下げた表現を平気でしたことを心底哀しみ、子育ての失敗に苦悩する親の姿がそこにあった。