さて、ここまで男性の気持ちについて考えてきた。
やはり、この男性は「ただ単に死にたかった」わけではないのだ。
そして、自分で命を絶つ勇気がなかったわけでもないと思う。
何故なら、いくら自暴自棄になったからといっても、人の命を奪うのには自分の命を絶つのと同じくらい勇気がいる事だと思うからだ。
では、わざわざ沢山の命を奪ったこの男性の本当の動機は何だろうか。
僕はこの男性が「自分の命に未練は無かったが、ただ静かに誰にも知られず人生を終える事が嫌だった」「どうせ死ぬなら、世間に自分の存在した証を残して死にたい」と感じたが故に、あの大事件を起こしたのだと思う。
ずっと孤立して理解されず生きてきた男性が、最後の最後に精一杯の自己主張の手段として、人の命を奪う方法を選択したのだ。
ここで僕は思う。
こんな事件を起こしたこの男性は、一見「人の存在価値」を軽んじているように見える。
でも、本当にそうだろうか?
何もかもが嫌になり人の存在を憎んだ男性…でも、そんな男性が最終的に自分の生きた証を残そうとした矛先は、まさに彼が憎んだ「人」だったのだ。
人間を憎んだが、結局は人間に戻ってきた。
この男性は、沢山の人の命を奪った。誰が見ても、人を大切だとは感じず必要ともしていない「異常者」。か?
違う、この男性は追い詰められた末に沢山の命を奪う事で、無意識のうちに「人の存在価値の大切さ」を証明していたのだ。
人には、自分を理解し愛し、必要とし気遣ってくれる「人の存在」が必要。
この男性は、自分の行動によってそれを証明してしまった。
この男性は決して「異常者」ではない。僕らと同じように、「人」を求めていたのだ。
ただ、この男性は悲しい事だけど、「自分を理解してくれる人」を得られ無かった…ただそれだけだ。
この男性の「命を奪う」という行為は許されない。
しかし、そこに至るまでの男性は、僕らと何ら変わらない「普通の人」なのだ。
生きがいや理解してくれる人、愛する人などが得られず孤立したら、僕らだって自暴自棄になるはずだからだ。
僕は、決して男性の行為を弁護するわけではない。
ただ、やはり人には人が必要なのだ。
人とのつながりが無くなり、上手く馴染めない人達がどんどん取り残されていく現在。