すれ違い様、雷槌のような二撃を政虎が馬上からはなち、これを信玄が刀で受け止めた。
距離をおき、激しく睨み合う信玄と政虎。
初めて相見える両雄であったが、互いが瞬時に確信していた。
それが、自分の宿敵である事を。
「貴様、それでも人の親かっ!」
「大将自身が敵陣深く乗り込む愚か者が、何を偉そうにいうかっ!」
何故ここまで憎しみ合うのか、当人達にもわからなかった。
あるいは、生まれながらに定められた、宿命だったのかもしれない。
馬の腹を蹴り、疾走する政虎は、待ち構える信玄目掛けて刀を投げつけた。
矢の如く大気を切り裂いて突き進むその刀を、軍配で弾き落とす信玄。
その横を駆け抜ける政虎は、ふさぎ込んだままの半次郎の首根っこを掴み、片手で持ち上げた。
そのまま馬を走らせた政虎は、半次郎が乗り棄てていた馬のところまでくると、彼を投げ捨てて言い放った。
「我が友、後藤半次郎の死を無駄にしたくなければ、自らの意志で生き延びてみせろっ!」
自分を護り、死んでいった後藤半次郎の名を耳にした半次郎は、辛うじて生への執着を取り戻した。
馬に跨がり、先行する政虎を追う半次郎。
そして立ち去る二人を見つめる信玄は、苦虫を噛む想いでいた。
「誰ぞ、段蔵を…、加藤段蔵を呼んで参れ」
別動隊が到着したのはこの直後の事だった。
これにより戦況が逆転し、数で上回った武田軍の反撃が始まる。
すでに退却準備を始めていた上杉軍だったが、武田方からの猛追を受け、多くの犠牲を出す結果になった。
この戦いに関する記録は今日において余り残っておらず、武田側が残した甲陽軍鑑に頼って推し量る事が多い。
それによると、この戦いでの死者は上杉側が三千百十七。
一方の武田側についての記述は無いが、上杉のそれを上回るであろう事は想像に難くない。
更には上杉側に名だたる武将の戦死報告が無いの対し、信玄は実弟の信繁や山本勘介など、得難い部将を多く失っていた。
大量破壊兵器の存在しないこの時代に、これほどの犠牲者を出した合戦は異質であり、後に戦禍を聞いた豊臣秀吉が、
「はかのいかない戦いをしていたものよ」
と、批評したほどであった。
正に、言葉通りの激戦であった。