「じゃあ尚更早くご飯の仕度を…………おい、来たぞ」
「あ?」
「だから、来た。耳を済ましてみろ」
パジャマから制服に着替えていた冬夜は、突然そう言われてボタンをかける手の動きを止めると、言われた通り耳を済ませてみた。
しかし何も聞こえない。
自分と伊織しかいない空間で、他に音を発する存在のない家は静まり返り物音一つしてはいなかった。
「気のせいだろ?」
「何、お前こんな騒がしい音すら聞こえんのか」
どこが騒がしいというのか。
眉を寄せて伊織の真意を測り兼ねていると、突然襖の奥で影が揺らめいた。
それはスルリと部屋に入ってくるなりダッシュで冬夜達のいる布団へと突進する。
『冬夜ー!』
「…………あー…これね」
伊織の言ったことをやっと理解した冬夜は小さく溜め息をついた。
『おはよーおはよーおはよー!』
「あぁ、おはよ…」
彼の目つきは明らかに迷惑がっているが小さいそいつはお構いなしに横で跳んだり跳ねたりしている。
『伊織もおはよー!』
「女の子がはしたないぞ。どうせぴょんぴょん跳んでいるんだろう。それにこの家は古くて木がよく軋むんだから、廊下を走るなと言っているだろ。うるさくて仕方ない」
『やーだよーだ。だって早く冬夜に会いたかったんだもん!どうせ今日も「がっこう」ってところに行くんでしょ?』
「そうだけど…」
『じゃあそれまでウチと遊んでちょ!』
「遊んでちょ、ってなぁ…」
整った彼の顔は途方に暮れ、頭は力無く垂れる。
学校の女子がその憂いを帯びた姿を見れば「きゃー!」と叫んで喜びそうな、どこか色気すら漂う彼だが、悲壮感溢れる姿は伊織が見ればリストラされたサラリーマンの様にしか見えなかった。